「努力」に関する面白い記事を見つけたので努力についてちょっと書いてみようと思う。
この記事から、努力を信仰する日本人がどういう間違いをしているかがよくわかる。
これをいじってもっと具体的に努力人間と非努力人間に分けて解説してみようと思う。
なお、努力人間と非努力人間は私が勝手に考えたもので、元記事の「努力する人」、「努力しない人」とは関係ない。
Contents
努力を信仰する努力人間
1. きついことをなんとかしてこなそうとする
「努力をすること=美徳」の考えからなんとかきついことをこなそうとする。
どうすればもっと効率よくできるかは考えない。
ひたすら頑張ればなんとかなると思ってる。
2. 達成感を味わうために努力している
頑張った自分を誉めたい。
がんばったからには何か達成感がほしいと考える。
それが何も得られなければすぐに努力を辞めてしまう。
3. 目的がブレる
努力型人間は努力することが目的になりがち。
努力している自分に酔い、何のために努力しているかを忘れてしまう。
そしていつの間にか努力の方向性がずれている。
非努力人間
1. きついことをいかに楽にできるかを常に考えている。
例えば大量の作業がある場合、努力してこなそうとするのではなく、作業する時間や場所を仕組み化してしまう。
こうすることであまり頑張らなくても習慣だからと、自分の中で自動化してできるようになる。
またはその大量の作業をいかに省略して楽にするかといった別の方法を考える。
このように常にどうやって楽するかを考えている非努力人間は常に効率化を考え、修正しながら動く。
2. 何かを得るために努力している
非努力人間は元々努力なんてしたくない。
でも努力した先に何が得られるかを常に意識している。
そのためなら達成感などなくても努力できる。
たとえなんのフィードバックもなくても自分の中で「今日はこれを学んだ」という何かがあるのでなかなか成果が得られなくても途中で挫折しにくい。
3. 目的がブレない
非努力人間は努力のために努力しているのではなく、必ず目的ありきで目的のために努力している。
そのため努力の方向性がブレることはありえない。
また、仮にズレたとしても常に目的の達成を考えているため、すぐに気づいて修正できる。
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まとめ
タイトルの「本物の成功者は努力しない」の意味は、努力を目的達成のための手段としてとらえていて、そこに特別「努力」という意識がないという意味だ。
成功者にとって努力はただの手段でしかないということ。
逆に努力型人間にとっての「努力」は手段ではなく、目的になることが多い。
以上、努力に関する考えを述べてみた。
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